バンドマンになれなかった。

バンドマンになれなくても人生続いてた。音楽聴きながら、モラトリアムのギリギリを生きてます。

あの頃見た「ロックおじさん」の尊さを今になって知った

いい年した「ロックおじさん」の姿

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(ロックおじさんのイメージ(ギターウルフ))


高校生の頃、僕たちが地元のライブハウスでコピーバンドなんかを知り合いの前でやっていた頃。


何人もの「いい年したロックおじさん」を見ました。

年齢は40代か、もしかしたら50を超えているかもしれない、といった具合です。

ジェルでテカテカの髪に、ゴツい革ジャンなんかを着て、
まるで「ロックンロール」という概念のコスプレをしてるみたい。

ギターウルフエレカシあたりを足してバリバリに薄めたような曲だったけど、
聴いたことはないし、あまりにも自信満々にやっていたから、たぶん彼ら自身が作った曲なのでしょう。

当然、「ロックおじさん」のバンドが、ライブハウスで人気を博しているわけはなく、
知人であろう、これまたロック風のおじさんが笑みを浮かべて見守っているだけでした。

当時の僕には、そんな彼らの姿が「ダサく」見えて仕方がなかったのです。

「いい年して、なにやってんだよ。」

「いつまでロックに縋り付いてんだ。」

あの頃は、そう思えて仕方がなかった。



今でも街ですれ違う「ロックおじさん」


今でも、街中を歩いていると、電車を待っていると
熟年で楽器を背負った、あの頃見た「ロックおじさん」のような人をよく見ます。

でも僕がいま、彼らを見て思うのはあの時とは違うこと。

もうすぐ社会に出る身分になって、
残り僅かなモラトリアム期間をガリガリと削りながら生きている僕が気付いたのは、

あの頃に気づけなかった「ロックおじさん」の強さと、尊さ。

ロックと生きるということ

僕は中学生の頃にベースを買って、それから高校・大学とバンドに熱心に生きてきました。

もちろんバンド以外にも、たくさん趣味や楽しいことはあったし、
バンドで有名になったわけでも、稼げるようになったわけでもない。

それでも「バンド」は僕と共に青春時代を走り抜けた「相棒」だったのです。

ただ、これからはどうだろうか。
僕はバンドと生きていけるのか?

たぶん無理でしょう。
あの頃見たロックおじさんのように、仕事を持っても、家庭を持っても、
バンドを組んで、金にもならないライブをして、とは僕にはたぶんできません。

青春時代は、ロックと一緒に走り抜けてきても
これから先は、必死で全力で縋り付いていないと、置いて行かれてしまうのでしょう。

あの頃見た「ロックおじさん」へ

バンドというのは、手がかかる趣味です。
仕事をしながらバンドを続けるのは、なかなか大変なことでしょう。

でも「ロックおじさん」は平然とそれをやってのけていた。
それが出来るだけの「愛」を持って、全力でロックに縋り付いていたのです。

金にもならないバンドを、それでも続けていた。
たぶん、ロックは彼らのライフワークになっているんだと思います。
そういう意味では、志はアーティストと何ら変わらない。

なんだ、おじさん格好いいじゃん。


青春時代の瀬戸際で、連れ添ってきた「相棒」に別れを告げようとしている僕。
青春時代を過ぎても、不格好に縋り付いて一緒に走り続けているロックおじさん。

彼らの「尊さ」にやっと気付いた。

僕は彼らのようにはなれなさそうです。

だから、どうか頑張ってほしい。
どれだけ若者に「ダサい」と笑われても、負けないでほしい。


ロックおじさん、あなたは強い。どうかそのままで。