曲も小説も書けないなら、ブログを書けばいいじゃない【思考の言語化と発信のすすめ】
今、言いたいこと全部言えてますか?
口に出したい、形にしたいのに、
伝える方法も相手もわからず、しまいこんでいることはありませんか?
何か言いたいことがあるなら、
わざわざ難しい方法も、特定の相手も選ぶ必要はありません。
思考を形にしましょう。その方法を教えます。
思考は"半"言語だ
何も考えてない人なんて、この世にいません。
誰でも何かしら考えていきています。
ただし、思考が言語化されている度合いに個人差がある。
思考というのは、
なんとなく話せるようだけど、明確な形にはなっていない、
いわば「"半"言語」のようなものです。
その半言語である思考が、どれだけ言語に近い状態で扱われているかは人によって異なるのです。
たとえば、
ベテランの作家さんなどであれば、思考はかなり言語に近い状態、9割くらいは言語されているかもしれないですし、
逆に、試合中のアスリートの思考などは、ほとんど言語化されておらず直感のような形で扱われているでしょう。
言語化された思考は"重い"
そうやって考えてみると、
何か言いたいことがあるのに上手く言えなくてモヤモヤしているという人は、思考の言語化度合いが高いタイプといえます。
思考を言語化するのは悪いことではありません。
なんとな~く考えていることよりも、頭の中でしっかり言葉にして考えた内容は深く刻まれます。
自分の考えを整理したいなら、言語化するべきです。
ただ、高い度合いで言語化された思考はそのぶん"重い"んです。
言語化した思考をどこにも出さずにしまっておくと、中途半端に言葉にしたばかりに、
かえって行き場を失くした思考がどんどん溜まってズッシリと重くなり、時には他の考えの邪魔にもなってきます。
それが、モヤモヤの正体です。
僕も中学高校の多感な時期に、溜まり続ける思考に悩まされていました。
そして形にする方法をなかなか上手く見つけることができなかった。
そうだ、この気持ちを曲にしよう
中学生・高校生の頃の僕は
このうまく形にできない考えを曲にしようと思ってました。マジです。
This is 若気の至りといった感じですが、
楽器をやっていた僕にとってはこれしかないと当時は思っていたのです。
人間の視野って意外と狭い。
あ、結果は無理でした。曲作るのってムズいよ…。
そもそも考えを形にするという目的で、「作曲」というのはどう考えても遠回りですね。
作曲自体には今でも興味があって出来るようにはなりたいんですが、方法としては合ってなかった。
しかし、人間の視野というのは意外と狭いもの。なかなかいい方法を見つけられません。
そうだ、作曲が無理なら小説を書こう
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曲を書くのって難しいなぁと思った僕は、何を血迷ったのか
小説を書いて、登場人物に言わせればいいのでは…?
というクレイジーアイディアに行き着きました。本当に何を考えてんだこいつは。肉食動物並の視野の狭さです。
あ、もちろん上手くいきませんでした。話を考えたりはしてみたんですが、小説を書ききるのって尋常じゃないくらい難しい。
もちろん、作曲や小説が自分の考えを表現するのに最適だという人もいるとは思います。
しかし、なかなか普通の人では難しい。なかなかいい方法が見つかりません。
僕のように血迷っていろいろ試すこともなく、なんとなくモヤモヤしている人も多いでしょう。
じゃあ、ブログ書こう
曲も小説も書けないけど、思考を形にしたい!という人は
もうブログ書きましょう。
僕は人に言われてブログを始めたんですが、やっていくうちに
これが思考を形にする手段として、最も手軽で効果的なものだと気づきました。
思考を形にするだけなら日記でもいいんですが、たぶんブログの方がいいです。
一人でこっそりやっていたら、その思考をまた抱え込んでしまう。
誰か他人に伝える、読ませる形で言葉にする方がスッキリするはずです。
他人から反応があることで自己承認欲求が満たされ、ただ抱え込んでいただけの思考を価値のあるものとして見れるようになります。
しかも上手いことやりゃ金になるかもしれない。おかげで飽きずに続いてます。
思考を言語化するのは悪いことじゃありません。
あなたの考えも、僕の考えも、言葉という形にすればきっと価値がある。
ただ抱え込んでモヤモヤしているのはもったいない。
ブログという形で発信してみるのは悪い選択じゃないはずです。
言いたいこと言おう。