「OK Google」のCMから漂う薄気味悪さと「トゥルーマンショー」
最近テレビ番組を見ていると、こんなCMよく見かけませんか?
CMが明けて番組始まった、と思ったら…なんか違う?
…
……GoogleのCMか!
ってやつです。マジで多い。
まあ、全然関係ない広告を見せられるよりは、見てる番組と繋がってる方が気が散らなくていいですよね。
途中までCMと気づかないものもあって、さすがはGoogle。
上手いこと作るなあ、と特に不快感も無く見てました。
しかし、このGoogleのCM。
何度も見てると、なんだか薄気味悪く感じてきます。
これはCMと最後に明かされるからいいものの、
完全にステルスマーケティングとして番組の中に紛れ込ませられたら…?
今のグーグルならそれができるほどの力があるのでは…?
なんだか少し被害妄想的ですが、将来的に可能性が無いとはいえません。
こんな風に日常の中に広告がこっそりと紛れ込む世界の薄気味悪さ、
何かと思えば、20年近く前の映画「トゥルーマン・ショー」で描かれていたんです。
メディアを風刺しまくりな「トゥルーマン・ショー」
「トゥルーマン・ショー」は1998年にアメリカで公開された、ジム・キャリー主演の映画です。
主人公のトゥルーマンはリアリティ番組として生まれてから24時間、常に撮影されている。
街も架空のセットで、周りの人間も俳優やエキストラ、テレビ番組ということを知らないのはトゥルーマン本人だけ。
という大胆な設定の映画ですが、物語の各所にメディアへの風刺が込められています。
中でも今回僕が思い出したのは、このシーン。
突然出てくる広告の、こいつ何言ってんだ感
(映画『トゥルーマン・ショー』より)
トゥルーマンの奥さんが、いつも飲んでいるココアの話をするシーンです。
トゥルーマン・ショーの中では、人々が日常のコミュニケーションの中で
「この◯◯っていいよね」「こんな時はやっぱ◯◯だよな」
といった感じで、トゥルーマンに物を勧めるシーンがよく登場します。
実はこれが商品の広告になっていて、この広告費でリアリティ番組であるトゥルーマン・ショーは成り立っています。
トゥルーマンも最初はまさかそんなこと知りませんので、周りの人と普通に会話しているんですが、
ある日、自分の周りが何かおかしい?と疑念が芽生えると、一気に日常会話の不自然さに気づき始めるのです。
極めつけがこのココアのシーン。
疑心暗鬼になったトゥルーマンが真剣に話しているというのに、なぜか奥さんは急に笑顔でいつも飲んでいるココアの話を始めます。
このシーンでの、トゥルーマンの
こいつ…何言ってんだ…?
という反応が、まさに今の自分。
広告がなければ成り立たない世界も理解しているにも関わらず、広告に気づいた時に不快感を覚えるのは、
この、こいつ何言ってんだ感のせいではないでしょうか。
トゥルーマンはここから完全に世界を疑い始めるのですが、
トゥルーマンが覚えた不信感と、OK GoogleのCMに感じた薄気味悪さが、なんとなく重なります。
本能的で広告を拒否する現代人
テレビを見ても、ネットを見ても広告、広告…
言ってしまえばブログも広告まみれです。
そんな広告に囲まれた世界で、現代人は無意識に広告を避けて生きています。
パット見で「あ、これ広告だ」と思うバナーにはもう引っかかりません。
あからさまなものは、頭の中で自動的にスルーされますし、広告を非表示にするアプリケーションも今やたくさんあります。
そうやって、こいつ何言ってんだ的な広告が通用しなくなると、時代はネイティブ広告に移行します。
テレビ番組やウェブサイト、アプリ・ゲーム、そういったコンテンツの中に広告が溶け込み始めてます。
OK GoogleのCMは、まさにそれ。
しかし、広告に目ざとい現代人も黙っちゃいない。
世界にこっそりと侵蝕してくるネイティブ広告にすら、なんとなく薄気味悪さを感じてきてしまいます。
しかも、日常に溶け込んでいるほど、広告とわかると何故か裏切られたような感覚に陥る。
広告を避ける現代人と、どんどん自然に溶け込む広告のいたちごっこ、
果たしていつまで続くんでしょうか。
トゥルーマン・ショーはかなり前の映画ですが、この映画が示した世界に今でも、ふと考えさせられます。
現代社会風刺といえばこちらも
僕はけっこう社会風刺的な作品が好きなんですが、
最近見た中だと、ブラック・ミラーという海外ドラマが、一番ドギツい風刺が効いていておすすめです。
二回も紹介記事を書いているので、よろしければこちらもどうぞ。
年末年始は大人のドラえもん、特別お題「年末年始に観るべき海外ドラマ」キャンペーン by Netflix - バンドマンになれなかった。
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